平松愛理は乳がんは治ったのか

わかりやすく説明いたします。

平松愛理

平松愛理の簡単なプロフィール

平松愛理

1964年3月8日生まれ。神戸市須磨区出身。

1992年に「部屋とYシャツと私」でミリオンセラー 1993年にアルバム「Single is Best」でミリオンセラー 1994年編曲家の清水信之氏と結婚するが2005年離婚 1996年に娘を出産、2001年に乳がん発覚。治療に専念し、 2004年復帰。現在はネスレのテーマソングLa la smile を曲担当し、ラジオ番組のレギュラーもライブもこなし、 精力的に活動している。

乳がんは治ったのか

管理人

管理人の目

現在は元気に活動されています。乳がんになったのは2001年も終わる頃、 現在はそれから15年以上経過しています。再発をしたという話もなく、 15年も過ぎたので、もう管理人としては過去の話にしてほしいと思っています。 平松愛理は乳がんを乗り越えました。

デビュー直後から女性の病気に悩んだ

刺客

病気に悩んだ

2004年頃、メディアは平松愛理、復帰の時期に、女性の病気を乗り越えて特集 を多くやっていましたので、ご存じの方も多いと思いますが、簡単にではありますが 振り返ります。 平松愛理は、デビュー直後から子宮内膜症に悩まされます。痛みを乗り越えながら、 仕事に穴をあけずに、活動していました。平松愛理は子供が欲しくて仕方ありませんでしたが、 諦めていた頃に、妊娠。しかし、その妊娠も危険が伴い、母子ともに、生存する確率は25% と宣告されますが、なんとか出産。しかし、その後も病気が続き、悩んだ末に子宮全摘出手術を 決意。そして、やっと痛みから解放されたと思ったら、その半年後に乳がん発覚。 休業を余儀なくされます。そして、アーティストとして悩みつつも、2004年に復帰。現在に至ります。

休業中の裏で

桜

もがく平松

ここはファンサイトなので、一般に知られている記事以外のことも書きますよ。 実は乳がんになって、平松愛理は休業宣言をしました。2002年の話です。 しかしながら、平松愛理は休業といいつつも、活動していない訳ではありませんでした。 2002年12月、平松愛理は休業しつつも、ファンで希望者を募って、30人のファンとハワイツアー を行いました。私、管理人の桜柚月も参加いたしました。 平松愛理は乳がん闘病中に関わらずも、歌えるか心配といいつつも 30人のファンに対して、ライブも行う。それも当時未発表曲をそこで披露する という、ハードルもつけてなお、やり遂げるというプロ意識をもっていた。 平松愛理はまだ、復帰していない2003年にも、ファンクラブ向けにライブイベントを開催する。 HI-HATSという名前に変えて活動。この頃の平松愛理はもがいていた。 病気と死と迷い、怒り、戸惑いがそのまま詞になって完全に違うアーティストになって メロディも’部屋とYシャツと私’を歌った人とはほど遠いものだった。 平松愛理の曲を歌えない。そう言いながらも日々、病気と周りの見る目と戦っていた。

批判を受けた後のアルバム

ハート

2004年

乳がんを売りにしてると批判を受けながらも、復帰を果たした平松愛理。 一般的に知られている平松愛理の世界観は失恋するも 前向きな歌詞で軽快なメロディに対し 復帰した年、2004年に出した、アルバム’秋の虹’は 心の内面が詞に出て、メロディもバラードが中心だった 乳がんを経験して、平松愛理は、奥ゆかしいアーティストへと昇華していった。

平松愛理の現在

お客様4

元気

私は平松愛理の出演するラジオを長年記録してきたが、 復帰直後は乳がんの話題に触れることも 多かったが、現在はほどんど病気に関してしゃべることはない。 ただ、現在も、食には気を使っている。とかく、 低糖質、低脂質にこだわった食事をしていることを ラジオで言っている。ただ、私個人の意見だが、 ご本人、かなり痩せていて、そこまでこだわる 必要あるのかな?と心配になることはあるが。 私は平松愛理の健康状態はすべて把握しているわけじゃない。 でも、平松愛理は今、元気です。 いつもジャンプした写真をSNSに上げているほど、元気です。

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